メディアアーティスト落合陽一さんが教える「近代の超克」
業界のトップランナーに授業をしていただくMOA大学の教室
6月17日に開催した第6回目の授業では、講師にメディアアーティストの落合陽一さんをお招きし「近代の超克」をテーマに講義していただきました。
メディアアーティスト 落合陽一さん
メディアアーティスト/博士(学際情報学)
筑波大学助教 デジタルネイチャー研究室主宰
Pixie Dust Technologies.Inc CEO
VRコンソーシアム理事
一般社団法人未踏理事
電通ISIDメディアアルケミスト
博報堂プロダクツフェロー
1987生、2015年東京大学学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の短縮終了)、2015年より筑波大学図書館情報メディア系助教 デジタルネイチャー研究室主宰、及びPixie Dust Technologies.incを起業し現職。専門はCG、HCI、VR、視・聴・触覚提示法、デジタルファブリケーション、自動運転や身体制御。著書に「魔法の世紀(Planets)」「超AI時代の生存戦略(大和書房)」など。2015年米国WTNよりWorld Technology Award 2015,2016年Ars ElectronicaよりPrix Ars Electronica, EU(ヨーロッパ連合)よりSTARTS Prizeを受賞、欧州最大のVRの祭典Laval VirtualよりLaval Virtual Awardを2017年まで4年連続5回受賞している。国内でもグッドデザイン賞や文化庁メディア芸術祭、経済産業省Innovative Technologiesなどに入選。総務省より異能vation,情報処理推進機構よりスーパークリエータ/天才プログラマ認定。個展として「Image and Matter (マレーシア・クアラルンプール,2016)」や「Imago et Materia (東京六本木,2017)」など。Axis誌やLeonardo誌などのデザイン・アート誌の表紙やNature誌の増刊研究調査報であるNature Index 2017の表紙を飾るなど、雑誌・テレビ・ラジオなどを始めとしてメディア露出も多い。
近代は、人間の人間による人間のための世界
photo by矢野拓実
「人民の人民による人民のための政治」という言葉で知られるリンカーンの時代やフランス人権宣言のような時代には、「人間の人間による人間のための世界」という近代のコンセプトはとってもクールだった。
でも、現代においては全くクールじゃないんですね。
人間の面倒を人間が見るのは全然クールじゃない。
だからこそ、それをどうにかしないといけないというのが僕たちの共通認識。僕が考える近代の超克っていうのは「ポストモダン」じゃなく「コンピューテーション」
「ポストモダン」というフレームワークの考え方に囚われている限り、それはいくら続こうがいつまでたっても「ポストモダン」の延長線上でしかありません。
そうじゃない回答というのは人間が「人間のフレームワーク」で問題を解かないのが正しいと思います。
そしてそれができるようになったのは、コンピューターの普及があったからだと思うんですね。
だから、大切なのはコンピューテーションだと。
男女平等=50:50っていうのは近代的な考え方
男女の機会均等っていうのは今でも話題になります。
例えば、議会でも男性議員と女性議員の数を50:50にしようという考え方がありますよね。
でも、その考え方はすごく近代的な考え方なんです。
本当に多様であるならば、5割という結論にならないことがあってもいいと思うんです。
田舎であれば、おそらくスーパーに買い物に行くのはほとんどが女性。
そんな環境にある自治体が住民の生活を考えるには女性が多い方がいいはずです。
コンピューターが登場したことによって、その地域住民の生活に関するデータを使って最適な議員構成比率とかを考えられるようになりました。
だから、何かと何かを綺麗に分けるというのはとても近代的な考え方。
そして、その考え方を抜け出すのは脱近代をするのに大切な考え方です。
多様性とパラメタライゼイション
photo by矢野拓実
今までの時代は、マスの時代だった。
マスにものを作るというのは、標準的なものを作るということなんですね。
でも、今の時代は多様性、個人の時代。
コンピューテーションによって能力だったり特性というものをパラメーターとして管理できるようになれば、一つ一つのコモディティを組み合わせて色々な問題を解くことができるようになります。
実際に自動移動の車椅子も何一つ新しい技術を使わないでコモディティの技術の組み合わせで作れます。
だから、僕たちはフィジカルとバーチャル、人間とマシンというものが合体して生態系を作るという未来を作ろうと思っています。
現代は、ストレスマネジメントの時代
「ワークライフバランス」という考え方は絶対に嘘です。
近代という時代は、タイムマネジメントの時代で「ワークとライフ」というわけ方をしてそれぞれの時間が大切だと考えていました。
でも、これからの時代はワークとライフの区別が無差別になってきます。
そこで重要になるのはストレスのかかる仕事とストレスフルではない仕事のバランス。
9時に帰宅したからといってストレスがかからないというとそうではないですよね。ストレスマネジメントというのは、時間の問題ではないんです。
いくら残業してもストレスを感じない人は残業すればいいし、
早く帰りたい人は17時に仕事が終わる代わりにその時間で質の高いアウトプットを生み出せばいい。
ただ、こういう考え方は弱者には厳しい社会なんですね。
だから大事なのは「BI(ベーシックインカム)とVC(ベンチャーキャピタル)」
競争力がなくて画一化された人が生きて行くにはベーシックインカムのような社会保障制度が必要。
その一方で、VCがやってるようにやる気のある人にお金が回ってきて社会を変えて行くような仕組みも必要です。
現代はモチベーションの格差の時代
photo by矢野拓実
これからの時代、リスクを取れずに何もできないというのは画一化されることを意味します。それは機械との同質化に繋がってしまう。
機械が扱う統計の世界では、リスクを取るというのは出てきません。
そこが人間の面白い点で、フレームを超えてリスクをとるからイノベーションが起こるんです。
ただ、このモチベーションっていうのは文化資本に依存してしまう。
小学校だと隣の家には1冊も本がないけど、うちには1000冊の本があるという状態が普通にあります。
この隣同士の家に所得の差が1000倍あるってことはないはずです。
だから、資本の格差だけではなくこの文化資本の格差、それに基づくモチベーションの格差というものが大切になってきます。
言語の世界から現象の世界に
VRや映像、ボットなど技術によってイメージが形になるようになりました。
言葉によるコミュニケーションだけに頼っていた時代から現象として認識するという世界に変わってきている。だから、その現象の世界でものを考えて行くのが大切になっていきます。
僕がグラフィックスと呼んでるあらゆるものが現象として認識される現象の世界では、あらゆるものが数値的、ヴィジュアル的、オーディオ的に考えられるようになってきます。
そうなってくると言語的に考えられるものよりも、物質同士の関係や現象とAIという風に物事を捉えられうことが大事だと思っています。
photo by矢野拓実
落合さん、素敵な授業をありがとうございました!
文章:伊藤