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「人間社会から計算機自然へ」MOA大学特別講義Vol.2落合陽一先生

7月23日(日)に行われたMOA大学特別講義Vol.2
落合陽一先生には「人間社会から計算機自然」についてお話いただきました。
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落合陽一さん
メディアアーティスト/博士(学際情報学) 筑波大学助教 デジタルネイチャー研究室主宰 Pixie Dust Technologies.Inc CEO VRコンソーシアム理事 一般社団法人未踏理事 電通ISIDメディアアルケミスト 博報堂プロダクツフェロー

1987生、2015年東京大学学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の短縮終了)、2015年より筑波大学図書館情報メディア系助教 デジタルネイチャー研究室主宰、及びPixie Dust Technologies.incを起業し現職。専門はCG、HCI、VR、視・聴・触覚提示法、デジタルファブリケーション、自動運転や身体制御。著書に「魔法の世紀(Planets)」「超AI時代の生存戦略(大和書房)」など。2015年米国WTNよりWorld Technology Award 2015,2016年Ars ElectronicaよりPrix Ars Electronica, EU(ヨーロッパ連合)よりSTARTS Prizeを受賞、欧州最大のVRの祭典Laval VirtualよりLaval Virtual Awardを2017年まで4年連続5回受賞している。国内でもグッドデザイン賞文化庁メディア芸術祭経済産業省Innovative Technologiesなどに入選。総務省より異能vation,情報処理推進機構よりスーパークリエータ/天才プログラマ認定。個展として「Image and Matter (マレーシア・クアラルンプール,2016)」や「Imago et Materia (東京六本木,2017)」など。Axis誌やLeonardo誌などのデザイン・アート誌の表紙やNature誌の増刊研究調査報であるNature Index 2017の表紙を飾るなど、雑誌・テレビ・ラジオなどを始めとしてメディア露出も多い。

落合さん:よろしくお願いします。
僕が好きな小説の1つにジェームズ・バリーって人のピーターパンっていう小説があるんですけど、読んだことある人います?(会場挙手)

あれ?意外とないな…。
この前、女子高生向けに講演したら意外と7割ぐらいいてびっくりしたんですけど。

この中に出てくるセリフの一つに「All the world is made of faith, and trust, and pixie dust.」ていうセリフがあって。
皆さんfaithとtrustの違いって学校で習ったことあります?

faithって内なる何か、信仰とか訳したり信頼とか訳したりするんですけど、faithもtrustも信頼なんですよ。

で、faithの方が内なる何かで、trustの方が外在する何か、証拠が見つけられる何かなんだけど。

つまり、自分の中に何かを信じることと自分の外に何かを信じること。
これは極めて感覚値の話なんですね。

あと、pixie dustは魔法っていう意味なんだけど。
認知できるものと認知できないものがあって。
認知できるものは内在性があるものと外在性のあるものでできてる。

なんかピーターパンが言うにしてはだいぶ深いセリフなんですよ。

なんで僕がpixie dustが好きかというとですね。

僕の博論のテーマって
「どうやったら人間は今後ディスプレイとかオーディオデバイスみたいな目で見えるものとか耳で聞こえるもの以上の解像度を使って、人間に対して、新しく表現できるか?」っていうのが僕が東大の頃専攻してたテーマで。

そんなことをずっとやってる人間です。

人間を超える解像度っていうのは例えばこれ。
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これは超音波なんだけど、人間には目に見えないじゃないですか。
わかります?超音波って人間の耳には聞こえないし、人間の目には見えないから、内なる信頼も外なる信頼もない。

つまり、我々のセンサーでは捉えられないし、我々の脳みそでも目には見えないっていうものを使って、どうやったら我々の目に見えるものや形のあるものが作れるかっていうのが今でもすごい興味あって。そんなことばっかりしてます。

で例えば、これは磁場を使ってるんですけど。
勝手に動いてるように見えるでしょ全部。

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そんな風にこの世の中の波動をどうやって人間が触ったり勝手に動かせるかっていうのが僕が博士時代にやってたテーマで。
それから研究室を作ってもずっとこのテーマを継続してやって。

「人間が見えるものと人間が感じないものをどうやって使っていくか?」ってことにすごく興味があるわけです。

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でも例えば、僕あのピーターパンっていう小説が大好きなんですけど、Wikipediaからピーターパン症候群っていうのを引用すると、「ピーターパンは人間的に未熟で、ナルシストで、自己中心的で、無責任で、反抗的で、依存症で、怒りやすい」っていうもう人間的に最悪のレッテルを貼られてるわけなんですよ。

こういう人たちがどうやってあぶり出されるかというとですね。

ポイントなのは、「ゆえにその人物の価値観は「大人」の見識が支配する世間一般の常識や法律を蔑ろにしてしまうこともあり、社会生活への適応は困難になり易く必然的に孤立してしまうことが多い」というところ。

確かに同じところに並べとか学校生活を送れと言われたら、ああいうタイプの人間ってそんな簡単には適応できない。
なんだけど今の世の中って一人一人を抑えつけるので、大体ピーターパンてそこで死ぬんですね。

皆さん星の王子様って読んだことあります?あ、違う人間の大地だ。
人間の大地の最後に虐殺されたモーツァルトって単語が出てくるんですけど。
モーツァルトはそこで虐殺されるし、ピーターパンはそこで死ぬんですね。

これ何がポイントかっていうと、我々って明治から今に至るまで、ひたすら同じものを、たくさん安く作る、大量生産っていうやつです。
それをずっと繰り返してきて、それに効率的な人間を育てようと、社会体制を作ってきたわけです。
その最大到達点は皆さんお手持ちのスマートフォン

でもそういうような大量生産品じゃないものを人間側はやっていかないと、次のこと考えられないよね。
だって、そういうような仕事ってコンピューターめっちゃ得意じゃないですか。
例えばエクセル埋めるとか人間がやるよりコンピューターがやる方が早いし、同じものをひたすら作るんだったら3Dプリンターで作った方がいいですよね。
つまり機械が得意なことを人間がしてもどうなるっていう。

ただ、今の学校教育ってまっすぐに全員を並べてるんですよ。
整列できるようにしたりとか、全員で同じ教科書読めるようにしたりとか。
一つ一つクロックを合わせることばっかりやってるんですよ。
まずここから離脱しないと次のことが考えられない。

僕の好きなアニメに「輪るピングドラム」っていうのがあるんですけど、この中にですね、「この世界はいくつもの箱で、人は体を折り曲げて自分の箱に入って、箱に入った後、箱がどんな形だったか忘れてしまう」っていう言葉が出てくるんですけど。
これってつまり、角砂糖型の人間にぼかぼかと入れ込んでるんですね。

最終的に自分がどこが得意だったかとか何が好きだったかとかっていうのを忘れちゃうっていう。
これが標準化の圧力ってやつで。

世の中、今、標準化しなくてもいいんですよ。
箱をコンピューターの力を使って、どうやって人間の力をゼロパワーにできるかっていうのを考えることができる。

我々が江戸時代まで持ってた世界って全員依存的なんですよ。
江戸時代ってゴミなかったって言われるんですけど、職業がめちゃくちゃあって、いろんな資材が回って。
風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなセリフとかあるじゃないですか。

「風が吹くと土ぼこりがたち、それが目に入ることで盲人が増える。
盲人は三味線で生計を立てようとするので三味線の需要が増える。
三味線には猫の皮が張られることで猫が減る。
猫が減るとねずみが増えて、ねずみにかじられる桶が増えることから、桶を売る桶屋が儲かって喜ぶ。」
Wikipediaより引用)

みたいな。そういう風にどこにも無駄がなく人と人が依存しあってるわけです。

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あと例えば、インド行ったことあります?
インド行くとクラクションって “Be careful” って意味じゃなくて “I’m here” って意味で鳴らすんですよ。
「僕ここにいるよ」って鳴らさないと人飛び出してきて轢き殺しちゃうんです。

その世界だとGDP超下がりそうですけど、じゃああれがもし自動運転でも加わったら、すごい高速に人間を超アクロバティックに避けるっていうのが見えてきますよね。

つまり、あれだけ多様性があっても、どうやったらコンピューターで、多様性のある人間のままいけるかっていうのが次の時代の勝負なんじゃないかなと僕は思ってます。

その中で例えば、さっきのピーターパンの話なんですけど。
近代社会が我々に規定したことって依存的になるなとか。

まあ怒りやすいとかずる賢いとかも他人の見た目の問題なんで、あの中でピーターパンの1番大きな問題点はウェンディに依存的であることだと思うんです。

どういうことかっていうと、ピーターパンを読むとですね。
ピーターパンとウェンディがネバーランドに行って帰ってきて、ウェンディが母になったらピーターパンが来るみたいな話なんですよ。
誰かに依存的でないとピーターパンって成立しないんです。
社会との間に一人ウェンディみたいな人がいないといけない。

でも、このウェンディみたいな人がいないと社会が成り立たなくなったかと言えば、そこがコンピューターによって今成り立つようになったっていうのが1番大きくて。
それってつまり、一人一人がわりと好きな方向に向いててもまあ社会が成立するようになってきたのかなと。

僕が今目指してるものはそういうことで。

「コンピューターを使ってどうやったら人間的な近現代、人間をまず標準化して全員に同じプロトコルを強いて、それによってコミュニケーションコストを下げるってことを、間にコンピューターを挟むことによってどうやったら変えられるだろうか」っていうのが僕が1番力を入れてやってることです。

そうすると何が違うようになるかっていうと、アートとかリサーチとかビジネスとかそういう仕組みが変わります。
だって我々の持っていたアートとかリサーチって近代の話なんですよ。
リサーチし始めたのって1700年代くらいじゃないですか。
それ以前の科学者って貴族の趣味とかですからね。
で、ビジネスって資本主義が成立したのはいつ…資本主義は昔からあるのか。
でも国民国家が成立したのってウェストファリア条約とか1600年とかだったじゃないですか。

つまり、我々が今、社会システムとして当たり前だと思ってるものは、全て近代的な標準化と人間が人間の問題を解決するっていう仕組みになって表れてます。

僕はいっぱい肩書きがあるんですけど、ざっくり言うとアートとビジネスとリサーチやってる人間です。
普通、昔だったら、アートやってる人はアートだけやってたし、リサーチやってる人はリサーチだけやってたし、ビジネスやってる人はビジネスだけやってたんですけど、でもそうじゃなくても上手くいくようになった。

睡眠と仕事と生活っていうのを綺麗に昔は切り分けられたんですよ。
働き方が一通りくらいしかなかったんですね。
つまり、あなたはどんな職業ですか?って言われて1パターンくらいしかなかったんですよ。

でも僕、働くときにストレスとストレスじゃないものに分けていて、この時間のところはビジネスやって、このところはアートやって、ここはリサーチやるみたいな。

だって体力的に疲れることよりも、例えば原稿用紙100枚くらいなら埋められる人でも、体力まだ残ってるんだけど脳にストレス感じてるからあと50枚終わんないなみたいなことってあるじゃん。

この中でプログラム書ける人っていますか?
なんか一日に書けるプログラムの量って大体決まってたりするじゃないですか。

そういうようなクリエイティブワークって脳に負荷がかかると、体力的には大丈夫でも頭使えなくなっちゃうから、それをうまく切り替えていくことが重要で。
それを生活の中でミックスするっていうような生き方をしてます。

メディア見てると俺が何してる人か全くわかんないんだよね。
AXISって結構有名なデザイン誌ですよ。
それの表紙になんで俺載ってんだとか。
natureって結構有名なサイエンス、研究の雑誌なんですけど、なんで俺が表紙に載ってんだとか。
例えば、建築とか車の雑誌になんで俺が載ってて、それでなんでマレーシアで個展とかやってんだろという感じになるんですけど。

そんな風に生活をミックスしていくと、一日中働けてですね、最近では3人分の働きができるように社会がなってきて、それをうまくやってシナジーを出していくことが僕の生き方です。

うちのラボと会社で40人の専門家がいるんですけど、僕何やってるかというと、波動エンジニアリングとデジタルファブリケーションとメタマテリアルディープラーニングとヴァーチャルリアリティと身体ハック。
この6本柱で戦っていて、この1本1本がシナジーがあってなかなか面白いんですよ。

だって例えば、波動が出るなら、出た波動何かにぶつかる。
このぶつかる物質側もプログラミングできるという。
3Dプリンター使ってもいいし。人間も極論を言えば物質なんで。
どうやって身体をハックするかというのもやりたいし。

で、身体をハックする人間のコンピューターをヴァーチャルリアリティでなんかやる。
この三つ巴の関係を要素要素に分けると例えばディープラーニングだったりとか、例えば波動であるとかそういう感じになる。

そういうような世界観のことを「計算機自然」と僕らは呼んでいて。
新しく今、人間社会っていうものがある上にどうやったら次の自然を打ち立てられるだろうかの勝負です。

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つまり、16世紀以前に我々は人間と自然というものを対比して、人間は人間社会を作って自然を克服するというのをテーマにしたんだけど、そうじゃなくてもう1回自然になっていくんじゃないかなと僕は思います。

なんでかというとですね。
映画でSFの世界では1902年に月に行ってるんですね。
当時の人からみれば「月に砲弾で行ったって何かやってるけどほんとなの!?」と思うわけですよ。
まあ嘘っぱちですよね。肉ミンチになりますよあんなの。

でも我々、映像を信じる訓練っていうのはずっとしていて。
だから僕らってアポロが月に行ったことを映像でしか知らないじゃないですか。
誰か現場で待ち構えてたって人いますか?いないよね。
みんな映像でしか知らない。
映像であったことは本当だと思ってるし、週刊誌に載ってることは本当だと思う傾向があるし。

60年経ったことを映像でしか知らない。
この世界って多分変わるはずで。
僕らが今、同じ光と同じ音を聞くもしくは同じものを見る世界、映像の世紀だったのが、これから先って違う光と違う音を聞く世界になるんじゃないかなって、そういうような世界が今世紀になるっていうのが僕の持ってる考えの一つで。

それってどういうことかっていうと、どうやって多様性を稼いでいくかってことであると。
全員で同じ画面を見るんじゃなくて、一人一人が違う画面を見るにはどうしたらいいかってことですね。

例えばそれは、アイバン・サザランドっていう50年前にVRを作った人がいるんだけど。
当時、彼がVRのゴーグルを覗いてて、当時なんだけどHMDでちゃんと立体空間に見える。
この人がこの論文を書いた時に真のVRは物体の存在を表現できる部屋になると言ってるんですね。
これすごく面白くて、じゃあそういうような物質性のある光・音っていうのはどうやって作るんだろうっていうのが僕の研究の一つのテーマで。

例えば、空間に裸眼で見れる立体的な形を光で作ってやろうとか、空間に直接プラズマを作って光を出すための装置を作ったりとか、空間のある1点だけで音がするスピーカーを作ったりとか。
スピーカーって今全員に音を出す装置じゃないですか。
そうじゃなくて、ある一点だけで音がする装置を作ろうと。
このスピーカーだと例えば右耳だけに話しかけるということができるようになる。

例えば、一人一人に中国語と日本語と英語を打ち分けて聞かせれば同時翻訳して伝えられるじゃん。
で、同時翻訳の方はきっとGoogleが頑張ってくれるから。
じゃあ僕は空間に打ち分ける装置を作ろうと。
そういう空間に音を置くような装置を作ってます。

他にもVRにも興味あって。
これ、うちの学生が作ったやつでちょっと面白いんだけど。

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VRって一人一人の空間の中に閉じるじゃない。
でも、閉じたVRの空間自体をどうやったらみんなで見れるのか。
あの人がゴーグルの向こうでゾンビと戦ってるたとして、その様子を空間でシェアするんだったら、我々の視点っていうのは多分、自由に一人称空間と三人称空間が存在できるようになるのね。
そうなってくると多分、「faith」自分の心の中を信じてるものと、「trust」外を信じてるものが全員がつながってくるんですね。
だから全然違うような価値観に移行していくんじゃないかなと思ってるんです。

そういうことを考えるときに1番重要なのは、僕が思ってるのは、ソフトウェアと体験価値です。
この二つができる若い人を育てきゃいけない。
ハードウェアなどのインフラは車メーカーとか電機メーカーとかにはやたら残ってるので非常にシナジーが効きます。
だから我々が今解かなきゃいけない問題は重厚長大なハードウェアを作るんじゃなくて、ソフトウェアと体験価値を考えていくっていうのがすごく重要なんです。
だけどこの問題ってすごく難しくて、すごくクリエイティブな発想もいるし、他は例えば…なんだろう。

これはうちの学生がやってる光を通す木を作ろうってプロジェクトで車メーカーと一緒にやってるんだけど。
そういうような柔軟な発想でもの考えるっていうのが結構重要で。

今、みんなスマホって表面ガラスじゃないですか。
ダイバーシティ超低いですよね。
ガラス以外のスマホ持ってる人いますか?いないですよね。

じゃあ革とか木とか大理石とか我々がネイチャー的に持ってる素材っていうのがどうやったら光を通せるのか加工技術を研究すると、最初のうちは解像度めっちゃ低いけど空間に対して光を打ち分けてくような、例えばこっちの人は日本の時間を見ててあっちの人はニューヨークの時間を見てるような光線を打ち分ける板を作ることができるようになります。

今我々は過渡期で色々なところにディスプレイをはめてるけど、ディスプレイはめないでできるような板ってどうやって作るんだろうってことに凄い興味があります。

他にもアクチュエーターの研究をやっていて。
モーターとかサーボとか動くものってあるじゃない?動くものをどうやったら三次元形状と一緒にして3Dプリンターでするかって研究です。
つまり、僕らって今ロボット組むとしたら電器屋でパーツ買ってきて組み上げるしかないじゃん?組み上げるんじゃなくて最終形状を3Dで入力したらそのまま動くものをどうやったら作れるのかってことです。

そうじゃないと大量生産したものを繋ぎ合わせることでしかものを作れなくなっちゃうから。
そうじゃなくて間をどう繋ぐか。そういうようなハードウェアを作れるか。
で、イメージしてほしいんですけどバネって自由な方向に曲がるじゃないですか。
なんだけど一方向にしか曲がらないような設計にしたバネがあったらそれって関節とか筋肉とかになるよね。
じゃあそういうようなのをどうやって3Dプリンターで、硬い素材をどうやって柔らかくするのかってのを研究してて。
そういう風にダイバーシティの高いアクチュエーターを作ってます。

うちのラボはそういうことをやっていくラボです。
じゃあ我々が何を目指してるかというと、20世紀的なマス生産から21世紀的なダイバーシティ生産にすると。
どうやったらソフトウェアが個別の問題に対応して、課題ごとの問題解決をしてくかってのがすごく重要です。

つまり、我々は今まで人間が頭で考えて、人間のために、人間が人間が人間がの世界だったんだけど、ダイバーシティ生産は人間が考えてることとコンピュータがやってることが分離されてるのね。

それはエジソン・フォードの時代にはできなかったことで。
彼らって大量生産をやった人です。
フォードは車を作った人だし、エジソンは電化製品を作った人だし。
世の中のほぼ全てを作った人たちです。
それを個別生産に変えられるかっていうのが我々の勝負で。
僕らってのはまず考え方、一般的には人間と自然とか人間と社会って考え方を突破します。
この突破の仕方は簡単で、波動・物質・知能っていう3つに分けます。

これ具体例があるとわかりやすいんですけど。

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この人今Aに向かって歩いてると思ってるんですよ。
でも人間ラジコンなのでBに着いちゃう。
っていうような人間を操れるヘッドマウントディスプレイをガチャっと被せて歩かせてみようと。
この問題は非常に面白くて、人間って足2本生えてて、眼球の前にカメラがついてるロボットだと捉えることができるから、人間って脳と目と足は分離できるのね。
それを別々に制御するのに、じゃあ3DカメラとHMDが人間にハマってたらそれって動かせるんじゃないのと。
Aに向かって歩いてる時に足の幅を超えないくらいの範囲で映像を動かしていったら。
あの人Aと思ってるけどBの前にいるんだよね。
そうやって視点動かされちゃったら人間気づかずに体動くからさ。

そんな風に人間が五感で持ってるものと、筋肉で持ってるものと、脳でやってるもの、会話でやってるものと、センサー、アクチュエーター、プロセッサー、ディスプレイをどうやって混ぜるか。
これがね、多分次の時代の勝負なんですよ。

Amazon Dash Buttonとか上手いのが人間が牛乳の残量調べて、筋肉で持ち上げて、「牛乳発注しよう」と思ってボタンぴっと押すと。
で最後、電信系だけハードウェアなんだよね。それ以外人間が判断してるんですよ。
そういう風にどこまで人間がやって、どこを機械がやるかっていうのがすごい重要で。

例えば、これうちのラボの女の子がやってるんですけど。
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右手3拍子左手4拍子って難しいじゃないですか。
ドラマーの人は叩けるかもしれないけど。
でも、腕に電気流したら勝手に動く。
カエルの足が電気流すと動くように人間も動くんですよ。
ポイントなのは腕に直接出力してやったら、あの人ってこの後電極外しても動かせるようになるんですよ。
なんでかっていうと、筋肉から脳に入力を入れると、人間の腕はロボットのように動くけど頭は人間の脳のままでいけるから。
人間と機械じゃなくて、機械知能と人間知能をハイブリッドしてハードウェアも混ぜ込むようなことを考えたり。

そういうようなダイバーシティって今後めっちゃ増えてきますと。
Microsoftアバターも最近、腕を義手とかに変えられるようになったんですよ。

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これは、そういう人が変えてるわけじゃなくて、かっこいいから腕金属の方がいいじゃんみたいな。
つまりこれから僕らってかっこいいから足を車輪に変えたり、かっこいいから腕を鉄にしたりとかしていって体自体がハイブリッドになっていくんですよ。
標準化からどうやったら多様性にいけるかってのがポイントです。

今まで話してたのをまとめると、今までのマスの世界、マスメディア・マスプロダクションの世界で、タイムマネージメントの世界で、誰が標準で、どうやって統一性があって、人間の問題は人間知性で解決して、我々のメインは全て視聴覚であると。

その世界からどうやったら俺たちは個人化、ハブアンドコミュニケーションの世界に行けて、ストレスマネージメントの世界で、パラメータの世界これちょっと難しいんですけど例えば腕を自由に生やせる世界ならあの人は腕4本この人は2本みたいな世界観だったら腕の数はパラメータですよね。
そういうようなパラメータにどうやってしていくか。
そうすると多様性が増すし、人機が融合していくのがポイントです。

そういうような世界は個人の能力を最大化する。
それはつまり共依存する世界。全員がピーターパンなのでお互いにもたれかかってる世界ですね。
で、ウェンディーみたいなとばっちりをくらう人はいなくて、それをコンピュータにどうやって置き換えていくかっていうのがすごく重要なんです。

僕アートやってる時って研究とは違って”非合理性”の世界にいるんですよ。
「あ、球浮いてたら綺麗だなあ」と思いながら作ってるんです。
俺、普段すごい合理的なこと考えてるんだけどアートやってる時は全天球が張り付いた球作りたいわあ、窓とかに置きたいわあとか考えて作ってて、要はテクノロジーの無駄遣いを猛烈にしてるんだけど。

でもそういうようなことをやってるとだんだんと合理性のあるところと合理性のないところの差がだんだんわかるようになってくるんですよ。
それをやってくと、エモさを追求してどうやっていくかってのが重要で。
そういうようなエモさと合理性の先には人間が社会に標準化して切り捨ててきたものが計算機自然になると結構戻ってくるんですよ。これ面白くて。

人間社会って今までは何が標準かを決める考え方で。
世界史で偉い人たちが決めてきたけど、健常者がいるから障害者がいるんですよ?
全員ダイバーシティだったらそんな人誰もいないですからね。
男女が結婚するって決まってるからLGBTがいるんですよ?
つまり、そういう標準がなければ、そういうマイノリティも出てこない。

僕らがそういう中で考えてるのは、我々は必然的にダイバーシティ化すると。
そして我々は高齢化社会にネガティブなイメージを持ってるけど、それをダイバーシティで捉えようと。
例えば目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、手が動かなくなる。
それをどうやってテクノロジーを使って置き換えていくかってことさえできれば、人口減少国家だけどめっちゃ成長できる。
効率性を追求するってとこと、エモさを感じるってとこをうまく切り分けていくことを今後やっていければ僕らの未来ってもうちょっと明るいんじゃないかなーと思います。

「後のことは知らない、僕ら死ぬからよろしく」みたいな無責任なおっさんばっかりじゃないですか。僕らの周り。
そんなことは関係ないのでどうやったらテクノロジーで解決できるかだけを考えよう。
まずはテクノロジーで老人を支える。
そのあとはみんなが機械と融合しているから誰も働いてない人がいない。
そういうような世の中をどうやって作っていくかが大切だと思います。

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落合陽一先生ありがとうございました。

文章:白井響(@shirai_hibiki)